(天候)9月17日:晴のち曇;9月18日:曇ときどき雨;9月19日:曇ときどき晴
いつ終わるとも知れない階段を延々と昇るような苦しい詰めを続け、掻き分ける笹薮がだんだんと低くそして空が広くなってきてしばらく、先頭を歩く丸山リーダーから「出ましたよ」という一言が…。後ろでは、高森さんが「えっ!」と期待の声を上げ、気の急いたぼくは笹で足を滑らせた。
数分後、稜線に頭を出したぼくの目に飛び込んできたのは、どこまでもうねうねと続くたおやかな草原の風景だった。その時の気持ちは単純に言葉では表せない。じんわりと胸に浸みこんでいく感情をいつまでも味わっていたい、それが水長沢遡行のフィナーレであった。
アプローチもまた核心だった
水長沢は、奥利根エリアでは入門ルートの位置づけである。であるが、詰め上げるとそこは遥かなる名峰平ヶ岳に続く稜線。利根川本谷の一大支流で、かつては鉱山も開かれ、人の行き来も多かったようだ。水鉛の沢、銅の沢…など、支流にも曰くありげな名称が付けられどんな場所なのか興味は尽きない。いつか行ってみたいと思っていたが、行くにはそれなりに心構えもいる。パンデミックのためにここ2年ほどは満足の行く沢登りができない状態も続いた。そのブランクを取り戻すべく、今シーズンはできるだけ時間を作って沢に入るようにした。丸山さんが山行リーダー、高森さんも同行とメンバーも言うことなしで、奥利根の名渓を堪能できる条件が整い、めでたく計画実施の運びとなった。
今回の計画では入山地と下山地が離れているので、車を2台使い双方を結ぶプランとなった。まずは前夜、平ヶ岳の鷹ノ巣登山口で落ち合うこととして、16日夜に丸山・高森車と古巻車に分かれて現地に向かう。
ぼくの方は、自宅から直接鷹ノ巣登山口に向かうことになる。通いなれた福島県側からのアプローチを選択して早目の出発をしたのだが、夕方の首都高速で事故渋滞に巻き込まれ、鷹ノ巣登山口への到着が深夜25時になってしまった。丸山・高森チームは23時30分ころに銀山平通過ということだったので、30分前には到着しているだろうと思い駐車場を探すが丸山車を見つけることができなかった。携帯もぼくのauは辛うじて繋がるが、お二人は圏外のようで応答がない。どうしたのかと思いつつも、あまり遅くなると翌日の行動に差し支えるので車内で横になり仮眠。5時過ぎに登山者の動きで目が覚めて、辺りを見るとそこに高森さんの姿が…。どこにいたのかと思ったら、やはり24時半頃到着していたらしい。なぜ、見つけられなかったのだろう。…まあ、無事に出会えてよかったということで、丸山車はそのまま鷹ノ巣登山口へデポし、古巻車に3人が乗り込む。そして、奥利根湖を水長沢出合いまで送ってくれる奥利根マリンサービスのボートが待つ道の駅みなかみ水紀行館へと急ぐ。途中、恋ノ岐川の入渓点を通った時に、著名な沢屋さん一行が出発準備をしている姿を見かけた。もしかしたら平ヶ岳で会うかなと思ったりもしたが、結局山中で邂逅することはなかった。山はやはり広い。
まず銀山平の遊覧船乗り場に寄り、そこで朝食などを済ませる。銀山平からはシルバーラインを経由して小出ICから関越道へ。そして水上ICを降りて水紀行館まで鷹ノ巣登山口から約3時間。待ち合わせが9時30分ということだったが、道の駅に9時過ぎに到着すると、既にボートが待っていて元気のいいおじさまが声をかけてきた。高柳さんとの初めての出会いである。(後で聞いたら、高森さんは以前に会ったことがあるらしい。)
身支度を整え、車内を整理して高柳さんの車に乗り込む。道の駅から矢木沢ダムサイトまでは30分ほどだが、高柳さんのおしゃべりを聞きながら、あっという間の時間だった。
そして、いよいよ奥利根湖の湖面に…。車の後ろにつないだボートを鮮やかなお手並みで湖面に浮かべると、エンジンを始動して10時過ぎに上流へ向けて出航!高柳さんによると、湖の水位が下がっているので、小穂口沢出合までしか行けないとのこと。
ダムからは20分ほどで小穂口沢出合に到着。本流との間の台地に降り立ち、ダムへもどる高柳さんを見送る。
小穂口沢出合からは、まず利根川の本流を遡る。思ったよりも優しい流れで、何度か脛くらいの徒渉を繰り返すが、利根川の本流を徒渉しているんだなあ…と感慨深いものがあった。
水は澄んできれいだし、お天気もいいし。台風の心配はあるのだが、これから始まる遡行を思い、わくわくが止まらない。
そして、小穂口沢出合から45分ほど歩くと、やっと右手から水長沢が流れ込んできた。
いよいよ水長沢の遡行が始まる
矢木沢ダムの満水時のバックウォーターは水長沢出合付近まで達するという。ただし、今日の出合付近は河原になっていて、穏やかな本流に穏やかな水長沢が合流している。水量比は、見た感じで4対1ほどか。出合からしばらくは傾斜もなく河原状の流れが続く。出合から30分ほどの瀞は左岸を巻いて越え、越えた先の河原で簡単に昼休憩を取った。
当初計画では、魚止沢の少し上流付近で1泊目の夜を過ごす予定だったが、台風襲来前に安全地帯に到達したいということで、丸山リーダーからは「今日は文殊沢の出合あたりまで行きます」と計画の変更が告げられた。初日の行程は少し延びるが、文殊沢の出合まで大きな困難はないと思われるので、一所懸命歩けば届くだろうとせっせと遡行に専念する。
休憩後もしばらく河原が続くが、Co900付近を過ぎた2つ目の瀞場を越えた先で右から滝で出合う支流が入るとやや沢幅が狭くなり、段差が出てくるようになる。小さな釜を持つ小滝がいくつか続くと一旦沢が開けて右岸に赤茶けたガレ場が広がる。
ガレの先で沢が再度狭まり、20分ほど進むと左岸から8mの滝を懸けて魚止沢が出合う。付近はゴルジュになっているが、少々水に浸かれば越えていける。その先、地形図988m標高点の付近、少し開けたところで2度目の休憩を取る。空を見上げると青空が広がっている。台風、ほんとに来るのかなあという空模様だ。
時間は14時を過ぎたが、この調子なら暗くなる前に目的地までは届きそうだ。休憩地点から先はゴルジュが続く。最初の4m滝は左側を越えたが、その先の深い釜に始まる連瀑は、泳げば取りつけるかもしれないが、素直に左岸から大きく巻いて越える。最初の二つの滝の上にも7mほどの滝が2つ続くがまとめて巻き、先のルンゼを使って沢床へ戻る。更に続く滝場も深い釜を従えている。ここは右岸の岩場から樹林に入り巻いて越えた。16時を回る頃、右から黒鉛の沢を合わせると間もなく文殊沢のとの二俣になる。文殊沢は直線的に本流へ合流し、本流は出合から左に大きくカーブしているので、文殊沢が本流のようにも見えることが、利根の水源は文珠菩薩の乳から湧き出す水だという伝承に繋がっているのだろうか。
取り敢えず幕営予定地点には到着した。日が暮れるにはまだ少し間があるので、幕営適地を探して付近を探索。最終的には二俣のすぐ下流右岸の台地に広い平地があり、そこにタープを張って寝床とした。帰宅後に文献を当たると、かつて鉱山が開かれていた頃に鉱山事務所があった場所のようだ。ちなみに、文殊沢へ少し入った右岸岩壁の基部に人工的な空洞が掘られていたが、そこは火薬庫の跡だという。
とにもかくにも、薪を集めて食事の支度を始める。1泊目の食事は丸山リーダー自らが腕を振るう。沢の中で久しぶりにカレーを食した。そして、明日は核心になるので、飲みすぎないよう注意だ。でも、焚き火にあたって他愛のない話をしながらのお酒は美味しいんだよなあ…。
2日目はいよいよ核心部だ。そして平ヶ岳を越えて…
2日目の朝は5時過ぎに起床。快適なテン場で熟睡し、前日の睡眠不足も解消されたので、朝食を摂って撤収後元気に出発する。本流は左にカーブしてすぐにハング気味の8m滝を懸ける。直登は難しいので、右岸から出合う大上沢の出合滝を少し登って、右方へトラバースし本流の滝の落ち口へ出る。すぐに2m滝が続き、その先の釜を持つCS滝は左岸を巻く。
さらに小滝を2つ越えると、岩壁の基部を斜めに流れ落ちる滝となる。奥の岩壁と手前の大岩の間をトイ状に流下しているようだ。手前の岩壁を10mほど登ると、上方に傾斜の緩い滑滝が続いており、左の乾いた岩を自在に登って行ける。全体を滝とすると結構な大滝であるが、滝と言っていいかどうか微妙な傾斜でもある。
その先もしばらく滝場が続く。滝場の終盤4m滝は釜が深く泳がないと取りつけないので、左岸の岩場を丸山リーダーが登り、上部に支点工作。後続は、ザイル確保で越える。さらに一つ小滝を越えると、沢が開けて穏やかな流れが続くようになる。
地形図の1198m地点で、左に水量比1:5の枝沢を分ける。さらに穏やかな渓相が続き、何となく岩が赤っぽく変化してくると、右から水量比2:1で白沢が流入する。ここまで、出発からおよそ2時間30分ほどである。
白沢を過ぎると、両岸が立ち上がって来て再び沢幅が狭まる。小粒だが、取り付きづらい滝もあり巻き主体で滝場を越えていくと、細長い瀞の奥で左の本流に斜瀑が懸かり、前方からは狭いゴルジュを落ちる2連の滝で銅の沢が出合う。
本流の斜瀑は6x10mといったところか。左壁を快適に越える。ここからの本流は水鉛の沢と名前を変える。さらに続く2m、8m2段の滝を問題なく越えてしばらくすると、前方に印象的な幅広のすだれ状15m滝が登場。地形図の「鉛」の字の左側の滝記号の箇所だ。右壁を越す記録もあるようだが、丸山リーダーは水流左を選択。途中でハーケンを打ち中間支点としたが、全体に脆い岩質で、セカンドで登った際に回収しようとしたら、殆ど効いていなかった(汗。
すだれ状滝を越えると間もなく、両門の滝の二俣。左は地形図では無名沢だが、『奥利根の山と谷 新装版』(小泉共司・著、白山書房2000年)によれば井戸沢と呼ばれているようだ。本流の6m滝は右壁から突破。
二俣から少し先、奥の狭まった三角形の釜を持つ2m前衛滝に続く、下部が少し被った6m滝は左岸の樹林から高巻いて越えた。越えると直ぐにCo1380の二俣となる。水量比は1:1で左俣沢と右俣沢に分かれる。右俣沢は2連の滝で、左俣沢は4mのすだれ状滝で出合っている。ここは、左俣の滝を水流左から快適に越える。
この二俣を過ぎると、本日の「技術的な」核心はほぼ終了だ。かわいらしい流れに小滝が続くようになる。Co1380二俣から15分くらい遡った開けた河原で昼休憩とした。
ここで、今後の行動について協議。2泊目を沢の中で過ごす案も出て、それはそれで魅力的ではあるが、台風の接近は間違いのないところであり、丸山リーダーは安全優先プランを選択。今日中に源頭まで詰め上げ、平ヶ岳を越えておくこととなった。
流れはだんだんと源頭の雰囲気が濃くなり悪場はない。最初のうちは小滝が続き快調に先を急ぐ。と、Co1700付近で丸山リーダーが立ち止まり何やら右岸の壁を指さしている。近づいて見ると、赤茶けた岩壁にピンホールのような穴があり、そこから水鉄砲のように水が吹き出ている。「何だこりゃ?」と三人で足を止めて暫し見入ってしまった。口に含むと金臭い味がするので、何か金属成分が溶け込んでいるようだ。見た目は面白いが飲用不適である。
水鉄砲付近からはゴーロの急登が続くようになる。行けども行けども、同じようなゴーロの登攀が続き、体力的にもだが、精神的な耐性も試される本日第二の核心である。
また、この先水が得られる保証がないので、Co1800を超えた辺りで水を汲んでおく。手持ちのプラティパスやペットボトルに水を汲むが、水の重みが登りに堪える…。
沢が狭まってくると、両岸にイチゴが実っているのが目に入る。歩きながらもぎ取って口に入れる。立ち止まってたくさん取りたいが、時間との勝負の最中でもあり、足を止めずにもいでは口に入れを繰り返す。イチゴのかすかな甘みと酸味で束の間疲れが取れるようだが、我慢比べの詰めはまだまだ続く。だんだんに低くなる稜線と開けてくる空が唯一の心の支えである。そして、ついに先頭の丸山さんから「出ましたよ」の声がかかった。
稜線には見渡す限りの草原が広がり、近くは正面にたまご石から池ノ岳への稜線と右手方向へは平ヶ岳へと細々としたふみ跡が続いている。遠くには左手から越後三山や荒沢岳、只見、南会津の山々が望まれる。後ろを振り返ると、奥利根湖の湖面がかすかに覗き、午後遅い斜光にきらめいていた。雲は多いが思った以上に天候がよく、周囲の眺望も得られて幸運であった。しばらくの間、各々で周囲の光景に見入り、胸に去来する思いを噛みしめる時間を過ごした。
詰め上げた稜線にある踏み跡は、細いがかなりしっかりいている。かつて奥利根山岳会が水長沢尾根に開いたという水長沢新道の名残だろうか。踏み跡に沿って東へ進むと、壊れかけた「平ヶ岳」の道標が放置されている。平ヶ岳の最高点(2141m地点)だ。そこから更に東へと進むと、整備された木道が始まる。
平ヶ岳の三角点は最高点から少し離れたところに設置されており、標高は2139.6mである。(道標には”二一四一”と記されているけれど…)稜線上の延々と続く湿原の木道を進むと、前方に樹林が望見されるようになる。平ヶ岳の三角点は、その樹林の中へ少し入ったところに設置されていた。
三角点からさらに池ノ岳へ向けて先を急ぐ。途中の分岐に記されたたまご石にも興味は惹かれるが、先を急ぐので次回のお楽しみである。途中で5分ほど休憩し行動食をお腹に入れ、三角点から40分ほどで、姫ノ池の畔に到達。池の周囲には休憩によさそうな木道のテラスが設置されている。
見渡す限り誰もいない夕暮れの姫ノ池の光景は、二度と見ることはないかもしれない光景で、とても印象的である。そして、もしかすると台風襲来直前という条件も、この風景の味付けに一役買っているのかもしれない、などとも感じた。
だんだんと迫ってくる夕闇に追われるように、頂稜を辞して安全地帯に向け登山道を降り始める。途中で右手に見える燧ヶ岳に虹がかかっているのが見え、少しだけ足を止めて写真を撮り、目にも焼き付けた。
2日目は、すっかり暗くなった樹林帯で緊急時露営ということで山中泊をさせていただく。
最終日もまた長い下山の道程が待っていた
平ヶ岳登山者の朝は早い。鷹ノ巣登山口から日帰りで山頂を往復しなくてはならないので、登山口を朝3時、4時に出発する人も多いようだ。こちらもなるべく早めに起床し、起床後は手早く朝食を済ませて、撤収後直ちに下山を開始する。幸い雨が降り出す様子もなく、気分的にも楽である。
平ヶ岳からの下山はほんとうに長い。10年ほど前に恋ノ岐川を遡行して白沢清水の辺りに詰め上げたことがあったが、その時の記憶がよみがえる。登山道を下るだけとは言え、痩せ尾根あり、急下降ありの路が続き、なかなか脚に堪える。ただ、時おり開ける眺めが、充実した山行の余韻と終わってしまうなあという一抹の寂しさをもたらすようにも感じる。
降り始めて、割合にすぐ、眼下に只見川の谷間と国道が見えては来るが、先はまだまだ遠く、なかなか終わりがやって来ない。台風襲来も近く風が時折強く吹くので、足場の悪いところや痩せ尾根などでは慎重に降る。ただ、相変わらず視程は割合いい。もっとも天候が悪くなる予報のためか、予想以上に登山者は少ない。下山中は2~3人の登山者とすれ違っただけで、とても静かな雰囲気であった。
そして、長い長い急降下もようやく終わり、下台倉沢を小さな木橋で渡ると旧林道に降り着く。もう間もなく駐車場だと思うとほっと一安心だ。一息入れて歩き始めると、わずかで車道へと飛び出した。
懐かしの駐車場で装備を解き、手早く片付けたのち出発。途中、銀山平の白銀の湯で3日間の汚れを清める。ここは静かで落ち着いた雰囲気で、いつ来ても心身ともにとても癒される。入浴後は、初日と同じく、シルバーラインを抜けて、小出から水上の道の駅まで古巻車の回収に向かう。
みなかみ水紀行館で荷物を整理して、昼食を摂る。高森さんはデザートにイチゴたっぷりのスイーツを食して満足そう。(ホントは矢木沢ダムを模したダムカレーも食べたかったようだが、直前で終了となってしまい涙をのんだのであった。)お腹を満たした後は、往路同様にそれぞれの車で帰路に就いたが、各々充実感、達成感、満足感に満たされた帰路だったのではなかろうか。
終わりに
沢登りを始めたころから興味を持っていた沢を遡行できた。よきリーダー、よきメンバーに恵まれたおかげとおふたりには改めて感謝したい。
台風の襲来がなければもう少し落ち着いた沢旅ができたのかもしれないが、天候ばかりはいかんともしがたい。むしろ、台風の大きな影響が来る前にうまく実施できたとも言えるし、好天であったら見られない光景も見られたのかもしれない。
この記録を記すにあたり文献をいくつか確認したが、各支流の名称が一定しないことが悩みの種であった。結局、基本的には地形図の名称を採用して、地形図に記載のない支流の名称は、本文中でも紹介した『奥利根の山と谷 新装版』(小泉共司・著、白山書房2000年)に拠った。
ほかに、『日本登山大系[普及版]3:谷川岳』(柏瀬祐之・ほか編、白水社2015年)、『奥利根・谷川連峰の沢』(岸智礼・著、白山書房2003年)、『利根川水源紀行』(奥利根山岳会・編、煥乎堂1980年)の各書籍も参考にさせていただいたが、地形図の名称に拘り統一感を欠いたかもしれない。支流名等の選択はあくまでぼくの定めた基準で行ったものである。もし不統一になっているとすると、それはぼくの選択の結果であり、各書籍の記述の問題ではないので、念のためにそのことを一言申し添えておきたい。
[9月17日]
小穂口沢出合(10:45)-水長沢出合(11:10)-Co895付近(11:48/12:10)-魚止沢出合(13:35)-黒鉛の沢出合(16:12)-C1:文殊沢出合(16:20)
[9月18日]
C1(6:48)-1198m地点(8:43)-白沢出合(9:15)-銅の沢出合(1030)-井戸沢出合:Co1350(11:16)-水鉛の沢二俣(11:54)-Co1400付近(12:10/32)-稜線(15:53)-平ヶ岳三角点(16:18)-姫ノ池(16:53)-C2(17:55)
[9月19日]
C2(6:37)-台倉清水(7:10)-台倉山(7:27)-下台倉山(8:14/24)-鷹ノ巣登山口(10:10)
お世話になります、山雀グループの深津と申します。懐かしい沢なので一言、大昔に三人で水長沢をマイボートで行きました。ですから記憶がハッキリしませんが、3日目の夜7時に水長沢尾根を下り着きボートが一回転して何とかダムサイトの明かりが見えた時の感激は忘れません。アノ尾根を開拓した奥利根山岳会と此の文書を書かれた古巻さんに感謝致します。
深津様
コメントありがとうございます。
水長沢尾根の登山道は、もはや跡形もないくらいのようですね。
もっとも、降りられても奥利根湖岸道も同様の廃道状態のようですから、ボートでアプローチできないとお手上げかもしれません。
高桑信一さんの近著に、水長沢を含む奥利根のことや、奥利根水源調査隊のことなどが書かれていて、興味深く読みました。
水長沢の鉱山が現役だったころ、湖岸道路・水長沢尾根の登山道が普通に歩けた頃の奥利根を想像するのも、ちょっと楽しく感じます。
返信が遅くなりました。当会の記録が目に留まり、コメントいただいたこと重ねて感謝いたします。