松尾沢(小室川谷支流)周辺の地名について

本考察についても、先日の大倉沢に関する情報同様、半年ほど塩漬けになってしまっていたものだが、公表するつもりで書き始めたものなので、いったん区切りを付ける意味でも、完成させて公表することとした。

昨年の9月に、小室川谷のS字峡を越えたところで出合う松尾沢を遡行した。(記録は、こちら)沢自体は、特別に見どころのある沢ではなかったが、事前の下調べと、事後記録を書く際の調査で、周辺の地名に関していくつか気になることがあったため、忘備録的に調べたことを少しまとめてみた。(私考・試考のレベルなので、不十分な点に関してはご寛恕のほどを)

松尾沢の名称のこと

昨年出版された『新版 東京起点 沢登りルート100』(宗像兵一著、山と渓谷社、2020年)の小室川谷の項を見ると、「松尾沢」の箇所にカッコ書きで「(サカリ沢)」と記載がある。古いガイド本でもサカリ沢と記載された文章を見た記憶がある。源頭のピークはサカリ山なので、「サカリ山に詰め上げるからサカリ沢」なのか「サカリ沢の源頭にあるからサカリ山」なのかは定かではないが、ピークと沢が対になっている名称で、ほかにも例がある。また、「〇〇の頭」などと、沢名に頭を付けたピークの名称もよく見る。
ただ、「サカリ」がどういった意味なのかは、調べても現時点ではよくわからないままだ。

山行後、記録を書くためさらに手元の文献をひっくり返していると、その昔は「檜尾沢」と呼ばれていたらしいことも判明した。原全教の著名な『奥秩父』(昭和52年復刻版; 原著は昭和8年)に「東の方一五四一の大金場から來るのは檜尾澤である。」との一文があった。後述のとおり「大金場」はサカリ山のことのようなので、この「檜尾澤」は、正に「松尾沢」のことと思われる。
同書付録の「大秩父山嶽圖」を見ても、サカリ山らしきピークには「大金場」と書かれ、そこから小室川谷へ流下する沢に「檜尾澤」の記載がある。
かつて「檜尾澤」と呼ばれていた沢が、どういう経緯で「松尾沢」になってしまったのか。手元の文献やWeb上の情報をいろいろ調べてみた。Webでは、サカリ沢も檜尾沢も有力な情報には行き当らなかった。あれやこれや資料に当たっているいる中で、手元に『多摩川源流部における支流・沢・尾根等の名称とその由来に関する調査・研究』(中村文明著、とうきゅう環境浄化財団、2000年)と題する資料の電子データがあったことを思い出した。その資料の小室川谷周辺のページに目を通していると、S字峡入り口の滝が「桧尾出合の滝」と呼ばれている記述に行き当たった。「桧」は「檜」の新字体である。S字峡を抜けると、もう目の前は松尾沢の出合だ。状況的には、現在の松尾沢が、かつては檜尾澤と呼ばれていたことは、確実なようだ。ではなぜ「檜」が「松」になってしまったのだろうか。 ひとつ思いつくのは、「檜尾」を新字体で「桧尾」と書くようになってから、ある時に誤って「松尾」としてしまったのではないだろうかということだ。「桧」と「松」の違いは横棒二本の有無だけとも言えるので、手書きの「桧」を「松」と誤読する可能性はありそうだ。真相は更なる調査が必要だが、どうも「松尾沢」は、「檜尾澤」が誤読あるいは誤記により定着してしまった名称のように思えてならないのである。

松尾沢(檜尾沢)上流部に残る山葵田跡
松尾沢(檜尾沢)のCo1140二俣より上流部にもワサビ田跡の石垣が見られる

因みに、中村文明氏は、多摩川源流研究所の所長をされており、調査・研究の成果を『多摩川源流絵図』という興味深い資料として発表されているらしい。(いくつも種類があるようだ。)機会があれば、そうした資料にも目を通してみたい。

サカリ山の山名について

さて続いて、松尾沢(サカリ沢、あるいは檜尾沢)源頭のサカリ山であるが、この山は地形図では「サカリ山」と記載されている。ところが、昭文社の山と高原地図では「今倉山(サカリ山)」となっている。この地図では、サカリ山は別名扱いで、正式には今倉山であるような取り扱いである。さて、正式な名称はどちらなのか。手元の『コンサイス日本山名事典〈修訂版〉』(三省堂、1985年)を開いてみた。
すると、サカリ山は掲載がないが、今倉山の掲載があり、カッコ書きで「大金場」とある。「サカリ山」、「今倉山」、「大金場」と三種類の呼称が存在することが確認できた。併せて、Web上の情報から「山葵谷山」とも呼ばれることがあるらしいことも判明。「大金場」は由来がよくわからないが、サカリ沢の源頭部にある「サカリ山」、小菅川の支流、今倉沢の源頭にある「今倉山」、鞠子川の源流部、山葵谷の源頭にある「山葵谷山」と、方面により異なる名称で呼ばれている(いた)ようだ。
沢・山の呼称は地域に密着したものであるから、現在より生活圏の限られた時代に、同じ対象に対しても生活圏ごとに異なる名称が与えられるのは、ある意味当たり前のことなのだろう。「正式な名称」という概念自体が意味がなく、どれもが正式とも言えるわけである。そうした意味では、原則として一つの対象に対し、一つの名称のみを記載する地形図などは、一つの名称のみにフォーカスして「正式」感を醸し出してしまうので、その功罪は大きいようにも感じる。

船越尾根?

最後に、サカリ山(今倉山、大金場、山葵谷山)からの下山に歩いた道であるが、Web上の記録で「船越尾根道」と呼んでいる記録も見つけた。[*1]

この尾根の末端、丹波川に降りつくところに「船越橋」という橋が架かっている。この橋は、道路の改修等により何度も架け替えられているが、現在の車道の船越橋は平成14年に架け替えられているようだ。その船越橋の上流側には、山に入るための階段がある。現行の青梅街道から存在を確認しただけで、実際に登って行き先を確認したわけではないのだが、追分からの道を、サカサ沢上流の十字路で沢沿いに降りずに直進すると、この辺りへ出て来そうにも思える。また、船越橋から柳沢峠に向かっての青梅街道は、かつては一之瀬川と柳沢川との二俣から上流の柳沢川丹波川の右岸沿いに付けられていたらしい。それが、 黒川谷の記録でも言及した「黒川通り」なのだが、件の階段は、「黒川通り」の遺構には通じているようなので、船越尾根道との関係も、いずれ検証してみたい。

[*1]樵路巡遊-船越尾根道(S.Tom.氏による)

サカサ沢上部の十字路
サカサ沢上部の十字路を、サカサ沢沿いに少し下ったところから撮影。船越尾根道の続きが左手に明瞭に延びている。この道の行き先は?

で、結局…

思いつくままに、書き連ねてきたが、地名に関しては、時代による変遷や地域による差異など、同じ対象に対して異なる名称が複数存在することは事実である。こうした事実を踏まえ、記録において、対象を誤解なく伝えるための記述の仕方を考える必要があるだろうし、反面、特にネット上の情報については、そうした地名の揺らぎがあることを前提に読み解くことが必要だろう。
自分で記録を書く際には、なるべく誤解の生じないようにはしているものの、本稿で述べた通り、調査には限界もあり不十分なことも多々ある。しかし、そうした調査には、面白みもあるし、思わぬ発見があったりもする。
山行後にいちいち記録を書くことに対して、否定的な向きもあるようだが、記録を残すことは、単に他人に山行の「成果」を伝える目的だけでなく、山や沢を知り、地域を知るといった側面もあるのではないだろうか。つい、仕事や家庭などの、日々の雑事に取り紛れて記録の公開が遅れがちになるのだが、記録を残す意味については、そんな風に考えると意味のある行為で、続けていくべきなんだろうなあと考える次第である。

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